元世界ライト級を狙う有望株として無敗street戦績を積み上げていたプエルトリコの元プロボクサー、プリチャード・コロン(プリチャード・コロン・メレンデス)さんが8月13日、33歳で亡くなりました。2015年10月の試合中に負った脳損傷が原因で、実に11年近くにわたって意識が戻らない状態が続いていたそうです。父リチャードさんが家族を通じて訃報を発表しました。
コロンさんは”Digget”の愛称で知られ、無敗のまま将来を嘱望されていた選手でした。今回はその歩みと、死去をきっかけに再び注目を集めているボクシング界の安全管理の議論について、分かっている事実を整理してお伝えします。
🥊 プリチャード・コロン(現役時代)
🥊 基本情報
| 氏名 | プリチャード・コロン・メレンデス |
| 生年月日 | 1992年9月19日(米フロリダ州メイトランド出身、プエルトリコ系) |
| 死去 | 2026年8月13日(33歳) |
| プロ戦績 | 16勝(13KO)1敗 |
| アマチュア実績 | プエルトリコ代表として国内王座5回、2010年パンアメリカン・ユース選手権金メダル(170勝15敗) |
🥊 運命を変えた2015年10月の一戦
コロンさんは2013年2月にプロデビュー。当時20歳だった彼は、デビューの10日前に海外の老舗ボクシングメディア「World Boxing News(WBN)」に自らメッセージを送り、「プエルトリコ・オリンピック代表チームの元メンバーです。取材をお願いできますか」と申し出たそうです。この時から始まったやり取りは、彼が選手として活動する間ずっと続いていたといいます。
16勝0敗(13KO)で無敗を誇っていたコロンさんは、2015年10月17日、米バージニア州フェアファックスのイーグルバンク・アリーナでテレル・ウィリアムズ選手と対戦しました。この試合は序盤から、ウィリアムズ選手による後頭部への”ラビットパンチ”(反則打)を巡って荒れた展開になったと伝えられています。
コロンさんは試合中に何度もレフェリーのジョー・クーパー氏へラビットパンチを訴えていましたが、大きな対応はなかったとされています。7回にラビットパンチでコロンさんがダウンした際、クーパー氏はウィリアムズ選手から1点を減点。リングドクターのリチャード・アシュビー医師がコロンさんを診察しましたが、めまいと後頭部の痛みを訴えていたにもかかわらず「振り払えるはず」と判断し、試合続行が許可されたと報じられています。試合は9回、コロンさんのコーナーが試合終了と勘違いしてグローブを外してしまったことで反則負けとなりましたが、その勝敗はまもなく大きな意味を持たなくなってしまいました。
控室に戻ったコロンさんは嘔吐して倒れ、病院に緊急搬送。硬膜下血腫(脳を覆う膜の下に血が溜まる状態)と診断され、緊急の開頭手術を受けました。その後、221日間にわたり昏睡状態が続いたといいます。
🥊 家族による11年間の闘い
コロンさんは昏睡から目を覚ましたものの、遷延性植物状態(自発的な意思疎通が難しい状態)となり、以降は自力で話したり動いたりすることができない状態が続きました。母ニエベスさんが主たる介護者となり、両親はほぼ24時間体制で彼を支え続けたといいます。2017年には、より専門的なリハビリを受けるためフロリダ州ジャクソンビルへ転居。目の動きの改善や、肘・手首・指のわずかな動きなど、少しずつ進歩も見られたそうです。
WBC(世界ボクシング評議会)はコロンさんの闘いを称え、名誉王者として認定し、彼が夢見ていた世界王座ベルトを贈呈しました。WBNは彼のプロデビュー前からの付き合いを大切にし、11年間にわたってその歩みを伝え続けてきたといいます。同メディアの編集長フィル・ジェイ氏は「プリチャードは単なる取材対象ではなく、友人だった」と振り返っています。
🥊 死去を機に再燃する議論
2017年5月、コロンさんの家族はリングドクターのアシュビー医師、共同プロモーターのヘッドバンガーズ・ボクシングとディベラ・エンタテインメントを相手取り、5000万ドル以上の損害賠償を求める訴訟を起こしました。医療過誤や、適切な資格を持つリングドクターを配置する義務を怠ったという主張でした。バージニア州の職業規制局(DPOR)による調査では「特定の個人に責任を問えるほど明白な過失は見当たらない」と結論づけられ、2019年にはプロモーター側が訴訟から外れています。アシュビー医師を巡る訴訟の行方は、その後長く決着がついていなかったと伝えられています。
今回の訃報を受けて、SNS上ではウィリアムズ選手や当時のレフェリー、リングドクターへの非難が再燃し、殺人事件としての捜査を求める声も上がっています。長年コロンさんと家族を取材してきたプロモーターのルー・ディベラ氏は「ドクターにも責任がある。プリチャードの負傷と死は、州のボクシングコミッションの過失と不十分な訓練体制が直接の原因だ」とコメント。一方でバージニア州の当局は、2025年にWBNが公式記録を”無効試合”に変更するよう申し入れた際にも「規制違反は確認されなかった」との立場を改めて示していました。
ウィリアムズ選手自身は以前から「意図的に危険な打撃を与えるつもりは絶対になかった。プリチャードのために毎日祈っている」と繰り返し語っており、現時点でバージニア州当局が殺人・過失致死としての捜査を開始したという事実は確認されていません。
📌 まとめ
プリチャード・コロンさんは、リング上で世界王者になる夢こそ叶いませんでしたが、11年近くにわたって生き抜いた姿そのものが多くのファンに勇気を与えていました。今回の訃報は、反則打への対応やリングドクターの判断基準など、ボクシング界が今なお向き合うべき安全管理の課題を改めて突きつけています。ご遺族に心よりお悔やみを申し上げます。
1つの反則行為への対応の遅れが、ここまで長く重い結果につながることがある。それがボクシングという競技の厳しさであり、同時に安全対策の重要性を物語っています。コロンさんのご冥福を心よりお祈りいたします。


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