岡山県倉敷市の国道沿い、3階建ての建物——1階がジム、2・3階は守安竜也会長の自宅。少し歩けば、温暖な気候の岡山平野に敷かれた田んぼが広がる。
「地方の田舎ジム」と表現された、その場所の名前は倉敷守安ボクシングジム。
1987年の開設から37年越しで夢を叶えた会長。ジム第1号プロボクサーとして入会し、後にその息子を同じジムの門に連れてきた父親。そして地方のハンデをすべて承知の上で「この場所で世界を獲りたい」と選んだチャンピオン。
ユーリ阿久井政悟選手の選手紹介記事に書いたのとは少し視点を変えて——今回はジムそのものの半世紀近い物語を紹介したいと思います。
🥊 ジム基本情報
| ジム名 | 倉敷守安ボクシングジム |
| 会長 | 守安竜也(第14代日本スーパーライト級王者) |
| 設立 | 1987年5月(守安ジムとしてオープン)、1999年に現名称に改称 |
| 所在地 | 岡山県倉敷市浜ノ茶屋230-5 |
| アクセス | JR倉敷駅から北東へ車で約5分 |
| 電話 | 086-421-5647 |
| 会員数 | 約50名(うちプロボクサー約8名) |
| 主催興行 | 桃太郎ファイトボクシング |
| 代表輩出選手 | ユーリ阿久井政悟(元WBA世界フライ級王者) |
🥊 会長・守安竜也——かませ犬から日本王者へ
守安竜也会長は1974年にプロデビューした元プロボクサーです。農協職員との兼業ボクサーとして試合を重ね、第14代日本スーパーライト級(ジュニアウェルター級)王者に輝きました。
さらに世界ランキング3位まで到達します。当時の世界王者はアーロン・プライヤー——あのレジェンドに挑もうと思えば、都市部のジムが億単位のファイトマネーを用意しなければならない時代。地方の小さなジムに在籍していた守安さんには、その夢は叶いませんでした。
1984年に現役引退。しかしそれよりも深く心に刺さっていたのは、現役時代に幾度となく経験した「地方判定」の悔しさだったといいます。
「今ではそんなことはないですが、当時は判定の贔屓がひどくて、名古屋や九州行ったら勝てんかったですよ」
アウェイのリングで何度も不可解な判定で敗れる「かませ犬」の日々——その悔しさが、後のジム開設と自主興行への原動力になっていきます。
![]() 初心者くん |
世界ランキング3位なのに、地方だったから世界王者に挑戦できなかったんですか……
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それが地方ジムの現実だ。お金も、スポンサーも、インフラも全部足りない。そこから「自分の選手には同じ思いをさせない」と立ち上がったのが守安会長ってことだ。悔しさを原動力に変えた人間は強いぞ。
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![]() トレーナー |
🥊 1987年、300万円でジムを開く——そして第1号の入会者
1987年5月、守安さんは300万円をかけて倉敷市内に自分のジム(守安ジム)をオープンします。
そのジム開きの数日前——見学に来た体格のいい青年がいました。守安会長は会うなり、その青年にこう言ったといいます。「おう、おめえプロになれ」。
その青年の名前は阿久井一彦さん。「無茶言いよるな」と思いながらも守安ジムに入会し、3年後の1990年に守安ジムのプロボクサー第1号となりました。
そしてこの阿久井一彦さんこそが、後の世界チャンピオン・ユーリ阿久井政悟の父親です。
🥊 「桃太郎ファイト」——赤字でも続けた自主興行
1992年、守安会長は自主興行「桃太郎ファイトボクシング」をスタートします。動機は明確でした。「自分と同じように地元判定で悔しい思いを選手に経験させたくない」——ホームリングで試合を組むことで、フェアな環境を作ろうとしたのです。
「地元で開催しとる自主興行は、よくてトントン。だいたいが100万円以上の赤字ですわ。でも選手を育てるには試合を組んだらんといかんですけえ」
それでも会長は興行を続けました。1990年代後半はジムの最盛期で、所属プロボクサーが30名を超えた時期も。1998年にはウルフ時光、2000年には藤田和典が東洋太平洋王者に輝き、倉敷守安ジムの名前が広く知られるようになります。
🥊 2009年、父が息子を連れてきた日
阿久井一彦さんは2001年に現役を引退。通算30戦13勝(3KO)15敗2分というキャリアでしたが、面倒見がよくジムの後輩たちから慕われていた存在でした。
引退から8年後の2009年——一彦さんは中学2年になった息子・政悟を連れて守安ジムに顔を出します。
守安会長は政悟を見るなり、笑顔で迎えたといいます。頑固一徹の会長が、あの笑顔で。
一彦さんは後に振り返っています。「当時、坊主(政悟)をどこのジムに連れて行くか少し迷ったんよ」と。厳しい練習でボクシングを嫌いになってしまわないか、という親心もあった。でも結局、「おっつぁん(守安会長)に恩義があるから」という言葉とともに、この場所を選んだのです。
その14歳の少年が、15年後に世界チャンピオンになりました。
🥊 2024年1月——37年越しの夢が叶った夜
2019年10月27日、ユーリ阿久井政悟が日本フライ級王座を獲得。岡山県のジム所属ボクサーとしては38年ぶり、史上2人目(初代は守安会長本人)の日本王者誕生でした。
そして2024年1月23日、エディオンアリーナ大阪。無敗の王者アルテム・ダラキアンに3-0判定勝ちを収め、WBA世界フライ級王者に。岡山県のジム所属選手としては男女通じて史上初の世界王者誕生——守安会長がジムを開設してから、実に37年後の夢の実現でした。
ジム開設時に300万円をかけたあの日から、赤字続きの自主興行を続けてきたあの日から、第1号プロの息子が「おっつぁんに恩義があるから」と連れてきたあの日から——すべてがここに繋がっていました。
🥊 ジムの主なタイトル歴(歴代)
| 年 | 選手 | タイトル |
|---|---|---|
| 1981年 | 守安 竜也(会長) | 第14代日本スーパーライト級王者 |
| 1998年 | ウルフ 時光 | 東洋太平洋王者 |
| 2000年 | 藤田 和典 | 東洋太平洋王者 |
| 2019年〜 | ユーリ阿久井 政悟 | 第58代日本フライ級王者(防衛3回・返上) |
| 2024年〜 | ユーリ阿久井 政悟 | 🏆 第48代WBA世界フライ級王者(防衛2回) 岡山県ジム所属選手として男女通じて史上初 |
🥊 現在の倉敷守安ジム
2024年の世界王座獲得後、守安竜也会長は倉敷市スポーツ章を受賞。ユーリ阿久井政悟はスポーツ栄誉章を受賞し、倉敷市を挙げての表彰となりました。
現在もジムは稼働中。ユーリ阿久井政悟はWBA王座を失った後もこのジムを拠点にスーパーフライ級での再起を目指しており、2026年6月時点で再起2連勝中。2階級制覇という新しい夢を追い続けています。
「岡山のボクシングの道を、もっと自分が切り拓けたらなと思います」——あの2023年9月、世界戦の記者会見でユーリが言った言葉。その道は、まだ続いています。
![]() 初心者くん |
父親が第1号プロで、息子が世界王者になるって……すごいドラマですね!
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ジムの物語ってのはな、そのジムを作った人間の人生そのものだ。守安会長の悔しさ、自主興行の赤字、一彦さんの「恩義」——全部がユーリの世界王座に繋がってる。倉敷守安ジムの話を聞くと、ボクシングって競技の奥深さを改めて感じるぞ。
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![]() トレーナー |
岡山のど田舎から世界を獲った——その物語の舞台がこの倉敷守安ボクシングジムです。観戦する機会があれば、「銀河系最強TeamYuri」の次章を、ぜひ一緒に応援しましょう!




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